2011年07月27日

【archive】原水禁ニュース 2008年4月号

「原水禁ニュース」2008年4月号に掲載された
「ふぇみん・婦人民主クラブ」元代表の山口泰子さんと
NO NUKES MORE HEARTSのMisaoのインタビュー記事です。
NO NUKES MORE HEARTSの誕生に関しても触れています。
この頃は六ヶ所再処理工場の本格稼動が運動の焦点でした。


以下「原水禁ニュース」2008年4月号より転載


若い人たちが動きだした六ヶ所再処理反対運動
山口泰子さんとMisao Redwolfさんに聞く



青森県六ヶ所再処理工場の本格稼働が早くても6月以降に延びました。これで12回目の延期となります。この間、首都圏でも六ヶ所再処理工場の稼働に反対する動きが活発化し、昨年11月には市民団体や今までこの活動に関わっていなかった人たちなどと一緒に日比谷野外音楽堂で「NO NUKES MORE HEARTS」の集会が開かれ、今年1月にも日比谷公園で生活クラブ生協や大地を守る会などの消費者団体が中心となった集会や、若い人を中心にしたライブが同時に開かれ、二つの集会後のパレードは一緒にというユニークな企画でした。今回、こうした運動に参加している山口泰子さんとMisao Redwolf(ペンネーム)さんをお招きしてお話を伺いました。


──お二人がこの問題に関わるきっかけからお聞きしたいと思います。

山口 私は「ふぇみん・婦人民主クラブ」の会員です。婦人民主クラブは、戦後すぐに設立されて、私は1954年くらいに入りました。その頃、杉並区阿佐ヶ谷に住んでおり、ちょうど、ビキニの水爆実験を契機に杉並で原水禁運動が始まった時です。私も子どもを乳母車に乗せて活動しました。それが核問題に関わったきっかけです。その後、夫の転勤で各地に転居しましたが、婦人民主クラブの会員として平和や環境問題を中心に活動してきました。公害が社会問題となるなかで、身近な合成洗剤の害を知り、このことから化学物質問題や、大量生産・大量消費と暮らしについて考えるようになりました。その根底にあるのは平和で安心して生きられる社会への思いです。当然、原発にも疑問をもち7、8年前から積極的に活動に参加しています。

Misao 私は広島生まれです。祖父が満州、祖母が広島出身の関係で、戦後の引き揚げで広島に戻りました。親戚の中には原爆手帳を持っている人もいたり、小さい時から原爆資料館の展示物を見ていたので、核問題は身近に感じていました。18歳で上京し、社会問題に関心はありましたが、アートを中心に、芸能界の仕事をしていました。私たちの世代は、社会から外れていて、「誰がやっても政治は変わらない」、「どうにもならない」と思っていて、バンドを組んでパンクロックなどをやっていました。正しい人ががんばっても歯が立たない。私はこんなことのために生まれてきたわけではないし、資本主義の歯車になりたくないと思って、社会に対して抗ってきました。でも現実は難しい。しかし、いま、絵(ART)を描いて抗っています。


──世界がおかしいから自分でも何とかしなければ、と思ったんですね。

Misao そこで、環境問題のマガジンとして「 RIZINE(雷神)」を立ち上げ、六ヶ所再処理工場の問題を特集しました。このマガジンは、メインライターに神無月好子さんを迎えて企画を進め、友人たちがお金を貸してくれました。また、発行にあたって銀行からもさんざん粘って融資をしてもらいました。もともとフリーランスで、生活も安定していないので融資の際には本当に苦労しました。しかし、この雑誌は環境の中で最大の課題として、原発、再処理に特化して編集しました。今の人に伝える見せ方を考えています。若い人たちにどう魅力を感じさせることができるかがポイントだと思っています。この発行を機に、前から運動に取り組んでいる人たちと次の世代の人をつなぎたいと考えています。5000部をつくりました。皆さんにもこのマガジンを手にとって欲しいものです。


──こうした若い人たちが動き出しているのはうれしいですね。

山口 首都圏では、「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督作品・06年)の上映後、多くの若い人が動き出してきました。Misaoさんもその一人です。新しい人たちの新しい提起、例えばライブ中心の企画などに、これまで運動をやってきた人たちのなかには「ついていけない」という戸惑いもありました。しかし、若い人たちがやろうという気持ちをふくらませていることは強く感じました。せっかくだから何とかいっしょにできないかということで、若い人たちにある程度企画をまかせ、11月の日比谷での「NO NUEKS MORE HEARTS」が実現しました。それでも何人集まるか、アーティストを何人もお願いしているので財政は心配でした。


──従来の運動の枠組みとどのように変わりましたか。

Misao 再処理工場を止めるために、環境を考える企業にも運動に加わってもらうようにしようと、企業にプレゼン(企画説明)に行って、協賛金をもらったり、集会に賛同してもらいました。また、見せ方も工夫して、フライヤー(ちらし)やロゴをいまの時代に合ったものとして作りました。

山口 そういうことが私たちにはとても新鮮でした。再処理反対にまでカンパを出してもいいという企業もあるということをMisaoさんたちがつかんでいたことは、私たちのこれまでの運動の発想の中にはなかったことでした。そういう感覚が運動に持ち込まれました。スポンサーが大口のカンパを出したり、デモ(パレード)にオープンカーを登場させるなど、若い人の発想は面白いし、これまでの運動の感覚にはなかったことです。こういう人たちと私たちが一緒にやれるのだということが、この間の収穫であったように思います。


──運動をやってきて、ここが足りないと気づいたことはありますか。

Misao 時代に沿うことが必要ではないかと思います。私はちょうどアナログ世代とハイテク世代のはざまにいる世代で、その両方がわかる世代ではないかと思います。もっと表現方法の多様化をはかれるのではないかと思っています。

山口 これまで訴える対象を広める努力があまりできなかった。それを痛感させられています。


──そのことは私たちの運動にも関係することですね。ところで、再処理工場のアクティブ試験は3ヵ月ほど延び、流動的になりました。これからどんな取り組みを進めて行かれるのですか。

山口 再処理工場の稼働が始まったら止まらないだろうと思います。だから今ここでもっと反対の声を広げないといけません。資本や政治の力はものすごいし、大事故でも起こらない限り原子力安全・保安院は動きません。推進側は、安全性問題などは論破されているにもかかわらず、いつも言い逃ればかりです。しかし、稼働を止めるためにどうしたらよいのか、正直難しいところです。それでも、若い人や女性、生産者、消費者などに広がってきたというのは希望です。それを、もう少しどのように広げていくか。いま気づき始めた人たちと結びつくことがひとつの鍵だと思います。新しい人たちとともに、危機感を感じられる取り組みを具体的にしていきたいと思います。

Misao 青森県の外でがんばって運動をして、関心が青森県内に広がる運動が必要ではないかと思います。60年の安保闘争の時代みたいなデモや集会ができればいいのですが、現実は難しいです。デモで派手に打ち出すのが私の持論の一つです。これによって推進側を安心させないことが重要だと思います。若い人の習性をつかみながら伝えると、新しい人が素直に聞いてくれるのではないでしょうか。新しい人に向けたデモをできればと思っています。推進側は、本当は追い詰められていると思います。当面、工場の稼働を阻止をしなければなりません。今までの運動をベースにして、若い人たちにも中心に参加できるように訴えていきたいと思っています。


〈インタビュ─を終えて〉

六ヶ所の再処理工場が本格稼働へ向け、動き出している。そうした中で、今日は二人の活動家から話を聞く。古くから反対運動を続けてきた山口さんと、昨年から、反対運動に参加することになったMisaoさん。六ヶ所再処理工場の本格稼働は、これまでの活動家だけの運動では、止まらない。新しい仲間の参加が必須である。Misaoさんのように、新しい運動スタイルと可能性を持って、参加してくれている人たちと力をあわせ、今年も再処理工場は動かさせない。(福山真劫/平和フォーラム代表)



posted by nonukesmorehearts at 03:55| NO NUKES MORE HEARTS