2011年07月02日

記憶

3月11日からもうすぐ4ヶ月がたとうとしている。
あれからもう1年以上たったような気がするのは
色々なことが凝縮しすぎていたからか。


ここ数年福島県いわき市へ年に何度も通っていた私は
2009年2月に福島原発まで行ったことがあった。

いわきの友人ふたりと相馬までドライブがてらの原発の視察。
第一原発と第ニ原発を車窓から眺めたり街の様子を観察したり。
交付金で建てられた立派な施設がたくさんあるが
道には人の気配がなく私にはその様が不気味にみえた。
よくある田舎の風景に似合わない施設。
そして人々の心はどこにあるのだろう?
私には見つけることができなかった。

原発に近ずいてみたくて第二原発の入り口まで侵入したら
警備員に止められて注意を受けた。
ドライバーのKが対応している間に私は携帯で入り口を撮影。
警備員に撮影を注意されるか確認したくて
3シャッター目を大げさにきったところやはり
「撮影しないでください。」と言われ
「撮影しましたか?」と聞かれたが「いいえ」
と答えるとそれはあっさり見逃された。
「厳重警備」「撮影禁止」と立て札があった。

その頃プルサーマルの受け入れの瀬戸際だったので
様子を見に行こうとでかけた。
周辺4町が受け入れを認めたところというせいもあるのか
なにか緊迫した空気だったように感じた。

常磐のホントに綺麗な海を背景に
火力〜原発〜火力〜原発と立ち並ぶ様は
まるで『指輪物語』のサウロンのいる
モルドールを彷彿させて寒気がしてきた。
そしてその側道はルート6。

その後2010年の秋から福島第一原発3号機で
MOX燃料を使ったプルサーマル発電が開始された。


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2009年2月の福島第二原発の入り口



その少し前の2008年12月30日新暦の年の瀬に
私はイスラエル大使館の前に居た。
「ガザ空爆に抗議する12・30緊急行動」に参加した。
その2年前のレバノン攻撃の抗議の時以来の詣でだった。

色々な社会的な問題に関心もあるしどうにかしたいけど
身体ひとつではできることにも限界もある。
あれこれ中途半端にやるのは性分にあわないし
最も取り返しのつかないことになるであろう
原発問題に特化して活動をしてきたけど
イスラエル問題だけはまた別枠だ。

グローバリズムを進める勢力は長年をかけ
ジェノサイド/民族浄化を進めている。
アメリカのネイティブ
日本は明治維新で落ち
アポリジニなども弾圧されている。
今はアジアやアフリカでこれが行われている。

グローバリゼーション(西洋世界)
ニューワールドオーダー
VS アラブ。
統一などされたくない。


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当時使ってたバナー


福島原発を見学に行った3月後
2009年5月2日忌野清志郎さんが亡くなった。
その前年に開催したNO NUKES MORE HEARTSのイベントで
タイマーズの制作スタッフでもあった
高橋ROCK ME BABYさんに司会をお願いしたことがあった。
その後清志郎さんは高橋さんに
「反核イベントの司会したんだって?なんで呼んでくれないんだよ。」と。
それで結局のところ次回やるときには
スケジュールさえ合えばでてもらえるということに。

一旦病状が良くなった矢先の死去のニュース。
色んな意味で喪失感を味わった。

清志郎さんが生きていたら
今どんな事を言ってどんな事をしているのかな。


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国立市 多摩蘭坂 2009年5月19日

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国立市 多摩蘭坂 2009年5月19日

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国立市中3−1にあるメーソンのロッジ


初期RCサクセションの「国立市中区3−1(返事をおくれよ)」
という曲がある。
好きなコに告白手紙をだしたけど返事がこないという歌だけど
国立市中区3−1(中3-1)に何があるかというと
横浜に続き日本で二番目にできたメーソンロッジ。
同じ一角に大学もあるが清志郎さんはどっちを言ってたんだろう。


RCサクセション 言論の自由



Misao Redwolf 記


posted by nonukesmorehearts at 03:30| 日記